「学びの場としてのコーヒーハウス」 はじめに 社会教育の原型は学習する人々の自由な関心をはぐくむ、インフォーマルな教育から生まれた。その姿をイギリスのコーヒーハウスに見ることが出来る。
コーヒーハウスとは ヨーロッパの人々がコーヒーを飲むようになったのは17世紀の中頃であった。
コーヒーハウスの様子 店内には新聞や雑誌類が置かれ、最新のニュースが提供されることで客を惹きつけることが出来た。 さまざまな人間が出入りし、そこに集まる人々を相手に色々な新製品を並べ、広告見本などを店内に置いて客の注意を引くことが行われた。 怪しげなにニセ医者、インチキくさい薬の広告、パンフレットなど数多く貼られたり、置かれたりしていた。わけのわからない薬も大量に出回り、チラシ等に宣伝や効能書きがもっともらしく載せられ、薬そのものも置かれることもあった。 コーヒーハウスに珍しい物を持ち込む人や、訳の分からない実験をしたりする人が多く現れた。たとえば「角の付いたウサギの頭」、「人間の女が生んだ卵」など、今からすれば可笑しくなる物ばかりであるが、それらの珍品類がコーヒーハウスに置かれて客の注目を浴びていた。時には厄介なことも起こるので、利用規程が設けられケンカ、宗教問題を議論すること、賭博などは禁止されていた。
コーヒーハウスが隆盛した背景 17世紀中頃までのイギリスは住宅事情があまり良くなく、家で人と会ったりするような状況ではなかったので、コーヒーハウスで時間を過ごす人が多かった。電話もマスメディアも発達していなかったので、通信手段としては直接に相手のもとへ行くか、召使いに手紙を持たせるか、郵便配達制度を利用するかに限られていたが郵便配達制度も戸別配達は確立されていなかった。庶民は行きつけのコーヒーハウスに自分宛の手紙を保管してもらっていた。 本や雑誌を読む階層が上流階級のみに限られていたのが、中産階級の台頭により読書人口が増大した。しかし本の値段は高価で、誰もが手軽に本を買うことが出来なかった。読書好きは回し読みをしたり、読書会を開いたりしていた。 本の貸し出しをコーヒーハウスが行うようになる。
コーヒーハウスの発展 文字を読める階層の拡大により、出版業も繁栄する。ジャーナリズム活動も活発となる。書物が高価であったので本の貸し出し、貸本屋の普及をもたらし、そこから図書館が生まれた。
終わりに 学ぶことは一生涯続くものである。そして、学びに大切なことは内在的な自発性、何かに向かって問題意識を持って取り組むことである。「楽しく学ぶ!」学校教育がなおざりにしてきたことである。コーヒーハウスに見られる、好きなことに仲間と興じる事に、学びの原型を発見する。 参考文献 「コーヒーハウス」 小林章夫著 講談社学術文庫 (2009年5月29日) |