旅のアルバム  2015




      ベトナム国境の街と少数民族を訪ねて




         ディエンビエンフー


 ディエンビエンフーはラオスに接する、丘に囲まれた、高原の町で、60年に渡りベトナムを植民地支配してきたフランス植民地軍とベトナム独立同盟軍(ベトミン軍)との最後の激戦地である。
 フランスはこの戦いに完敗し、ベトナムから撤退,西欧の植民地支配に終止符が打たれた。



ディエンビエンフーの喉かな田園風景

ディエンビエンフー博物館

 世界史の教科書にも登場する、「ディエンビエンフーの戦い」がいかなるものだったか、ベトナム人がいかにフランス軍と戦ったかがよく理解できる。


物資を運ぶ少数民族のジオラマとA1の丘での戦闘風景

      投降するフランス軍兵士   生け捕り「捕虜」となったド・カストリー司令官









作戦本部が置かれていた「A1の丘」の爆破されてできた穴

   ド・カストリーの司令部跡

      旧ムオンタイ橋
 フランス軍がナムゾン川に架けた全長30m
幅5メートルの鉄橋。
1954年5月7日、ベトナム軍がムオンタイ橋を
攻撃し、司令部を撃破した。
    放置されたM24戦車が展示されている




   ムオンタイ橋の手前にある「ニオ市場」









                      ノン二ャイ記念碑

街の中心から2,5Kmラオス方面へ行った所に,死んだわが子を抱き抱えている母親の像が建てられている。
1954年、フランス軍の空爆により捕虜収容所に収容されていた、ターイ族をはじめとする少数民族の人々、444人が死亡した。
亡くなられた人々の霊の鎮魂のため建てられた。











  ディエンビエンフーからサパへ



長距離バスターミナルでラオカイ行のミニバスに乗って、途中サパ下車。
バスはサパの新ターミナルに着く。
6:30  11:30  17:30  18:30と 一日に4便。
約8時間と思ったより時間がかかるので、早朝6時30分のバスに乗るのが賢明。
チケットは19万ドン(約1,070円)。老婆心ながらチケットは前日に買っておいたほうが良い。



   ディエンビエンフ-の長距離バスターミナル       ターミナル内部風景         ラオカイ行のミニバス
 
 



   
     ディエンビエンフー市内



     道路工事でしばし足止め



   途中の風景、滝が見える、「道の駅]か?






       
   新サパ・マーケットと新バスターミナル         新サパ・マーケットの内部

         旧サパ・マーケット    マーケット内部    サパ・マーケット跡


 街は半年もあれば、変わってしまうのに、
「地球の歩き方」という旅のガイドブックは10年たっても相変わらず、でたらめな情報を垂れ流している。
「地球の迷い方」と揶揄される所以である。
 サパの観光名所であった、サパ市場はすでに閉鎖され、街の中心から少し離れたところに新サパ市場と長距離バスターミナルは移転している。
 「地球の歩き方」に書かれているサパの説明文、「ほとんどのフランス風建築は破壊され、現在ではその面影を残す建物はほとんど残っていない」とは何を根拠に書かれてのか?疑問に残るところである。恐らく海外の観光ガイドブックの丸写しであろうと推測される。
植民地統治の象徴であったサパ教会は一度破壊されたが、その後再建され街のランドマークタワーとしての役割を果たしている。
 サパはフランス風建築の立ち並ぶ、ヨーロッパの片田舎を彷彿させる街である。
ダイヤモンド社「地球の歩き方」の編集者は、一度自分の眼で実際に街を見て、観光ガイドの記事を書いていただきたい。そうすればこんなデタラメナ記事は書けなくなるだろう。
このようなガイドブックは有害いがいの何物でもない。





  サ パ


      
フランス植民地時代に高原の避暑地として開拓された。フランス風の建築で出来た、ヨーロッパの片田舎を彷彿させる不思議な町で周辺に少数民族の村々があり独特の雰囲気を醸し出している

        サパ・タウン           サパ風景
        美しい棚田        フランス風の建物
           モン族            ザオ族


バックハ―
バクハ―からさらにへんぴなシマカイのマーケット
  
    花モン族の華やかな衣装
     バクハ―のマーケット